6月19日(土)〜29日(火) 10:00~12:28
6月23日(水) 14:40〜17:08「沖縄慰霊の日」特別追加上映
上映後、ジャン・ユンカーマン監督舞台挨拶あり (2019年製作/148分/日本) ※日本語字幕・音声ガイドあり
上映後、ジャン・ユンカーマン監督舞台挨拶あり (2019年製作/148分/日本) ※日本語字幕・音声ガイドあり
私たちは沖縄のことを、どのくらい知っているのだろう?
1945年4月1日、アメリカ軍が沖縄本島に上陸。
6月23日(現在の慰霊の日)まで12週間に及んだ沖縄地上戦では4人に一人の住民が亡くなった。 本作は、当時同じ戦場で向き合った元米兵、元日本兵、そして沖縄住民に取材を重ね、米国立公文書館所蔵の米軍による記録映像を交えて、沖縄戦の実情に迫る。
また、戦後のアメリカ占領期から今日に至るまで、米軍基地をめぐる負担を日米双方から押し付けられてきた、沖縄の差別と抑圧の歴史を描き、現在の辺野古への基地移設問題に繋がる、沖縄の人たちの深い失望と怒りの根を浮かび上がらせる。
6月23日(現在の慰霊の日)まで12週間に及んだ沖縄地上戦では4人に一人の住民が亡くなった。 本作は、当時同じ戦場で向き合った元米兵、元日本兵、そして沖縄住民に取材を重ね、米国立公文書館所蔵の米軍による記録映像を交えて、沖縄戦の実情に迫る。
また、戦後のアメリカ占領期から今日に至るまで、米軍基地をめぐる負担を日米双方から押し付けられてきた、沖縄の差別と抑圧の歴史を描き、現在の辺野古への基地移設問題に繋がる、沖縄の人たちの深い失望と怒りの根を浮かび上がらせる。
凄惨を極めた沖縄の地上戦で対峙し生き残った元米兵と元日本兵、そして沖縄で現地徴用され戦闘に駆り出された沖縄の人びとの証言と、新たに発掘した米軍撮影の資料映像を重層的に構成し、76年前の沖縄戦の実像に迫ろうとする第1部「沖縄戦」。
1945年6月23日沖縄戦の組織的戦闘の終結を待たず、4月1日の沖縄本島上陸直後から始まっていた米軍による差別的な沖縄占領政策の実態と米軍基地建設、そして占領下での沖縄の人々の平和を求める反基地闘争を中心に描く第2部「占領」。
読谷村でのチビチリガマ集団自決「集団強制死」の証言、また米軍基地の存在によってもたらされる沖縄の人びと、とりわけ女性たちへの性暴力の実態を、被害の側の人びと、そして性暴力の加害者である元米兵の、双方への取材を通して明らかにしていく第3部「凌辱」。 基地周辺での住民への被害だけでなく、米軍内でも女性兵士たちが同僚の男性兵士から性的被害を受けているという実態が、アメリカ取材から見えてくる。
辺野古への新たな米軍基地建設をめぐる、日本政府の強引な対応と、沖縄への差別的な扱いを許している私たちの無関心に対して、沖縄の人たちの深い失望と怒りが語られる最終章第4部「明日へ」。 不屈の闘いを続ける沖縄の人びとの真の強さに励まされるかのように、映画は終わる。
本作は沖縄をテーマにしたドキュメンタリー映画の製作からスタートし、4本の映画を沖縄で製作してきたシグロの30周年記念映画 となる。 沖縄戦から76年。私たちはどのように沖縄の問題と向き合えばいいのか。 沖縄戦の真実に迫り、戦後の沖縄の歴史を見つめ直すことによって、沖縄の「終わらない戦後」をいま一度、私たち自身に問うドキュメンタリー。
製作はシグロの設立者/代表の山上徹二郎。シグロの第一回作品は『ゆんたんざ沖縄』(西山正啓監督)。以降、『エドワード・サイード OUT OF PLACE』(佐藤真監督)、『亡命』(翰 光監督)、『毎日がアルツハイマー』シリーズ(関口祐加監督)など70作品以上のドキュメンタリー映画を製作し、世界中で数々の映画賞を受賞。
監督は、「老人と海」で与那国島の荒々しくも美しい自然と風土を捉え、「映画 日本国憲法」で平和憲法の意義を訴えた、アメリカ人映画監督 ジャン・ユンカーマン。
~監督の言葉~
想像もつかないほどの戦争体験をした沖縄の人々は、一貫して戦争を拒絶してきました。しかし米軍は沖縄を「戦利品」として扱い、膨大な基地を建設。それらを拠点として、朝鮮、ベトナム、中東で戦争を続けてきました。平和を求める沖縄の文化と、戦争を選ぶアメリカの文化――。対極にある二つの文化が、狭い島に共存せざるを得なくなったのです。 米軍基地を撤廃するための戦いは今後も長く続くでしょう。沖縄の人々はけっしてあきらめないでしょう。しかし、沖縄を「戦利品」としての運命から解放する責任を負っているのは、沖縄の人々ではありません。アメリカの市民、そして日本の市民です。その責任をどう負っていくのか、問われているのは私たちなのです。 ジャン・ユンカーマン (公式HPより)
想像もつかないほどの戦争体験をした沖縄の人々は、一貫して戦争を拒絶してきました。しかし米軍は沖縄を「戦利品」として扱い、膨大な基地を建設。それらを拠点として、朝鮮、ベトナム、中東で戦争を続けてきました。平和を求める沖縄の文化と、戦争を選ぶアメリカの文化――。対極にある二つの文化が、狭い島に共存せざるを得なくなったのです。 米軍基地を撤廃するための戦いは今後も長く続くでしょう。沖縄の人々はけっしてあきらめないでしょう。しかし、沖縄を「戦利品」としての運命から解放する責任を負っているのは、沖縄の人々ではありません。アメリカの市民、そして日本の市民です。その責任をどう負っていくのか、問われているのは私たちなのです。 ジャン・ユンカーマン (公式HPより)