同じ月の上映作品
10月2日(木)〜17日(金) 10時00分〜11時44分 *水曜休 10月11日(土)〜17日(金) 12時00分〜13時44分
『黒川の女たち』
2025年製作/99分/日本/ドキュメンタリー
<10月追加上映決定!ご予約受付中>
記憶が歴史になる前に、未来へ遺す。 戦禍を生きた人々の証言。
80年前の戦時下、国策のもと実施された満蒙開拓により、中国はるか満洲の地に渡った開拓団。日本の敗戦が色濃くなる中、突如としてソ連軍が満洲に侵攻した。守ってくれるはずの関東軍の姿もなく満蒙開拓団は過酷な状況に追い込まれ、集団自決を選択した開拓団もあれば、逃げ続けた末に息絶えた人も多かった。そんな中、岐阜県から渡った黒川開拓団の人々は生きて日本に帰るために、敵であるソ連軍に助けを求めた。しかしその見返りは、数えで18歳以上の女性たちによる接待だった。帰国後、女性たちを待っていたのは労いではなく、差別と偏見の目。節操のない誹謗中傷。同情から口を塞ぐ村の人々。 身も心も傷を負った女性たちの声はかき消され、この事実は長年伏せられてきた。だが、黒川の女性たちは手を携えた。 したこと、されたこと、みてきたこと。幾重にも重なる加害の事実と、犠牲の史実を封印させないために―。
詳細ページ
記憶が歴史になる前に、未来へ遺す。 戦禍を生きた人々の証言。
80年前の戦時下、国策のもと実施された満蒙開拓により、中国はるか満洲の地に渡った開拓団。日本の敗戦が色濃くなる中、突如としてソ連軍が満洲に侵攻した。守ってくれるはずの関東軍の姿もなく満蒙開拓団は過酷な状況に追い込まれ、集団自決を選択した開拓団もあれば、逃げ続けた末に息絶えた人も多かった。そんな中、岐阜県から渡った黒川開拓団の人々は生きて日本に帰るために、敵であるソ連軍に助けを求めた。しかしその見返りは、数えで18歳以上の女性たちによる接待だった。帰国後、女性たちを待っていたのは労いではなく、差別と偏見の目。節操のない誹謗中傷。同情から口を塞ぐ村の人々。 身も心も傷を負った女性たちの声はかき消され、この事実は長年伏せられてきた。だが、黒川の女性たちは手を携えた。 したこと、されたこと、みてきたこと。幾重にも重なる加害の事実と、犠牲の史実を封印させないために―。
8月6日(水) 12時30分~14時04分
8月6日(水)『ルーペ カメラマン瀬川順一の眼』
1996年/89分/日本/ドキュメンタリー
戦場で撮影されなかったワンカットのことを
忘れない…瀬川順⼀の哲学に触れるドキュメント
戦前から戦中、戦後にかけ、数々の劇映画、記録映画、短編映画の撮影に携わり、95年10月5日に80歳で亡くなった名カメラマン・瀬川順一(『奈緒ちゃん』のカメラマン)がドキュメンタリーについて、カメラマンについて語る貴重な記録。
「誰もわかっちゃいないんだ! カメラマンは、いないけど、いるんだ…」
彼を父親のように慕う伊勢真一監督が、10年近くに渡ってカメラを向けた。
詳細ページ
8月6日(水) 15時00分〜16時33分
8月6日(水)『いまはむかし 父・ジャワ・幻のフィルム』
2021年製作/88分/日本/ドキュメンタリー
「語られなかった声に、耳を澄ませてみたい。
父をいとおしむ気持ちを込めながら、あの戦争の時代の「真実」を描くドキュメンタリーは可能だろうか」
戦時、記録映画編集者・伊勢長之助はインドネシアでプロパガンダ映画を創った。長之助の長男・伊勢真一は、彼の子らと共に、父たちが国策映画を手がけた想いを探る旅へ出る。日本・インドネシア・オランダ。亡き父を想う旅で辿り着いた”戦争”の真実。
詳細ページ
7月31日(木)〜8月15日(金) 10時00分〜11時49分 *6日(水)上映あり,,13日(水)休み
『ひろしま』
1953年製作/109分/日本
ひろしま 平和への祈り
広島市民ら役8万8千人が出演し、原爆が投下された直後の惨状を再現したー
あの日、1945年、8月6日午前8時15分、みち子の姉町子は警報が解除され疎開作業の最中に、米原先生始めクラスの女学生たちと一緒に被曝した。みち子は爆風で吹き飛ばされた。弟の明夫も黒焦げになった。今ははぐれてしまった遠藤幸男の父・秀雄は、妻・よし子が梁の下敷きで焼け死ぬのをどうすることも出来なかった。陸軍病院に収容された負傷者には、手当の施しようもなく、狂人は続出し、死体は黒山のごとくそこに転がり、さながら生き地獄だった。しかし軍部はひたすら聖戦完逐を煽るのだった・・・。
詳細ページ
広島市民ら役8万8千人が出演し、原爆が投下された直後の惨状を再現したー
あの日、1945年、8月6日午前8時15分、みち子の姉町子は警報が解除され疎開作業の最中に、米原先生始めクラスの女学生たちと一緒に被曝した。みち子は爆風で吹き飛ばされた。弟の明夫も黒焦げになった。今ははぐれてしまった遠藤幸男の父・秀雄は、妻・よし子が梁の下敷きで焼け死ぬのをどうすることも出来なかった。陸軍病院に収容された負傷者には、手当の施しようもなく、狂人は続出し、死体は黒山のごとくそこに転がり、さながら生き地獄だった。しかし軍部はひたすら聖戦完逐を煽るのだった・・・。